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筑豊じん肺訴訟Chikuho pneumoconiosis

弱者救済の羅針盤となった筑豊じん肺訴訟

筑豊じん肺訴訟弁護団事務局長
弁護士 小宮 学

第1 最高裁判所主任裁判官藤田宙靖氏の回想

筑豊じん肺訴訟は、第1次が1985(昭和60)年12月26日に福岡地方裁判所飯塚支部に提訴され、2004(平成16)年4月27日の最高裁判所勝利判決で終了した。実に18年4ヶ月という長い闘いであった。

筑豊じん肺訴訟の最高裁判所主任裁判官であった藤田宙靖氏は、退官後に出版された著書「最高裁回想録」(有斐閣)において、最高裁が「弱者救済」の方向において大胆な踏み出したケースの代表例として筑豊じん肺訴訟を紹介され、次のように記されている。

「行政庁が、法律によって与えられた規制権限を適切に行使しないという事態(公権力の不行使)に対して国民がこれを違法と主張して争うことは、抗告訴訟としても、また、国家賠償訴訟においても、従来、甚だ困難であった。・・・このような理論状況の下で、第三小法廷の筑豊じん肺判決は、行政庁の規制権限の不行使につき、個別的規制権限の不行使に止まらず、規制対象が一般的である行政立法の不作為についてまでその違法を認め、賠償請求を認める例を開いたのである。そしてこのような判断は、その半年後、第二小法廷の、いわゆる水俣秒拡大防止規制事件判決へと引き継がれることとなった。」

筑豊じん肺訴訟の最高裁判所判決は、すべての労働者・すべての市民のための弱者救済の羅針盤となった。

第2 筑豊じん肺訴訟の概要

筑豊じん肺訴訟とは、主に筑豊地区に在住した多数の炭鉱のうち、(1)三井鉱山、三井石炭鉱業、三菱マテリアル、住友石炭鉱業、古河機会金属、日鉄工業(以下「被告6社」という)直営の炭鉱の元従業員ら又は被害6社の下請け企業の元従業員らが坑内外の各種粉じん作業によりじん肺に罹患したと主張し、自ら又はその相続人が原告となって、被告6社に対し、安全配慮義務の不履行を理由に、また、国に対し、国賠法1条による過失責任(直接の加害責任又は規制権限酷使)を理由に慰謝料を請求し、(2)被告6社以外の者の経営する炭鉱(以下「その他の炭鉱」という。これらの経営主体はすでに解散、所在不明等により事実上消滅している。)の元従業員らが自ら又はその相続人が原告となって、国に対し、国賠法1条の過失責任(直接の加害責任又は規制権限酷使)を理由に慰謝料を請求した裁判である。じん肺に罹患した元従業員169名というマンモス裁判となった。

第3 筑豊じん肺訴訟の運動

  1. 嘉穂劇場千人集会
    和解解決の世論を盛り上げるべく、1991(平成3)年9月24日には、飯塚市の嘉穂劇場で千人の観客を集めて「僕たちはボタじゃない」
  2. 和解案の提示
    同年12月15日、筑豊じん肺訴訟は、結審した。
    結審から9ヶ月後の1994(平成6)年9月22日、裁判所は被告企業に対し、「企業はじん肺患者に対し、管理2(合併症の有無)、管理3(合併症の有無)、管理4、じん肺を原因とする死亡に応じて1千万円から2千万円を支払え」との和解案を文章で示した。企業との間で最大の争点となっていた消滅時効については、裁判所から「時効による棄却者を出さない全員救済の和解案である。」という発言があった。

同年10月3日、裁判所から、被告国に対し、「これまでの石炭産業とのかかわりを考慮すると、応分の負担をしていただく必要がある。」との発言があった。

原告団・弁護団・支援する会は、筑豊じん肺訴訟の早期和解解決のために、署名を集めたり、被告6社や国に要請したり、ありとあらゆる運動をした。

しかし、被告6社は、和解を拒否し、被告国は、「訴訟の争点が行政の根幹にかかわる重大な事案で、和解は今後の行政にも影響を与える。また当事者間の主張には大きな隔たりがあるため、基本的に和解にはなじまない」とする文章を提出し、和解を拒否してきた。

第4 その後の筑豊じん肺訴訟の顛末

  1. 一審判決
    1995(平成7年)年7月20日、一審判決が言い渡された。
     裁判所は、「被告6社は紛じんの発生防止義務を怠った。」として、被告6社に総額19億6900万円の損害賠償を命じたものの、国の損害賠償責任を否定した。また、被告6社との間で最大の争点となっていた消滅時効の起算点については、「最も重い症状の行政決定を受けた時点」とし、原告側の「企業の時効の主張は著しく正義に反し、社会的相当性を欠き権利の濫用」との主張を退けた。
     よもやの「国に敗訴」、「時効敗訴」だった。
  2. 古河機械金属、三菱マテリアル、住友石炭鉱業との和解
     原告側と被告6社が控訴し、訴訟は福岡裁判所に係属した。
     控訴審で、(1)1997(平成9)年2月27日、古河機械金属との和解が実現し、(2)同年4月25日、三菱マテリアルとの和解が実現し、(3)1998(平成10)年2月6日、住友石炭鉱業との和解が実現した。
    いずれも、一審判決で時効を理由に敗訴した者も含めた全員救済の和解だった。
  3. 日鉄鉱業、国、三井鉱山、三井石炭鉱業の和解拒否
    日鉄鉱業、国、三井鉱山、三井石炭鉱業は、和解を拒否した。
    三井鉱山、三井石炭鉱業の和解拒否は、想定外だった。
  4. 福岡高裁判決における原告側全面勝訴
    2001(平成13)年7月19日、国、三井鉱山、三井石炭鉱業、日鉄鉱業に対して控訴審判決が言い渡された。
    控訴審判決は、国に勝訴し、時効でも勝訴し、画期的判決となった。
    消滅時効については、「最も重い症状の行政決定を受けた時」とする長崎北松じん肺訴訟の再考裁判決を踏襲した上で、じん肺を原因とする死亡患者については「死亡日」をその起算点とする「死亡時別途起算点説」が採用されていた。この基準に該当せず、消滅時効期間が経過した3人についても、じん肺が進行性の病気であることを考慮して、「時効の適用を求めるのは権利の濫用で許されない」として救済された。
    上告阻止運動に取り組んだが、結局、日鉄鉱業、国、三井鉱山の順で上告受理の申立が行われ、訴訟は、最高裁判所に係属した。
  5. 三井鉱山、三井石炭鉱業との和解
    この時効についての判断が、三井鉱山、三井石炭鉱業の消滅時効を理由に切り捨て、安上がりの解決とするとの目論見を打ち砕いた。
    三井鉱山、三井石炭鉱業は方針を転換し、筑豊じん肺、三井三池じん肺、北海道石炭じん肺について、一括解決したいと申し入れてきた。
    ついに、2002(平成14)年8月1日、三井鉱山、三井石炭鉱業は、約80億を原告側に支払うことで、筑豊じん肺、三井三池じん肺、北海道石炭じん肺を一括解決した。
  6. 最高裁判決
    2004(平成16)年4月27日、国と日鉄鉱業の上告は棄却され、福岡高裁判決は確定した。 

最高裁判決を受けて、ときの内閣総理大臣小泉純一郎氏は、「厳粛に受け止めなければいけない。長年苦しんでこられた方に心からお見舞い申し上げる。政府としてきちんと対応しなければならないと思っている。」とのコメントを発表し、謝罪した。

提訴から実に18年4ヶ月、じん肺に罹患した元従業員169人のうち144人が亡くなるという、壮絶な、しかし不屈の闘いを経ての勝利であった。

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